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「False Island」関連のブログです
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 これはあの少女――ヘレアが狙っていたことなのだろうか。
 分からない。
 しかし一つ確実なことがあった。
 コノカという名前とリズという名前は、同じ人物を差すということ。

 それが永遠にか、一時的なものかは別にしても。



天地創造
22



 「ヘレア、あの歌覚えてる?」

 布切れを拳に巻きながら、コノカが聞いた。
 その瞳は、また水晶みたいに透きとおってる。
 でも、さっきより、もっと綺麗に見える。
 まるで、世界に二つしかない宝石みたい。
 「覚えてるよ」
 忘れるはず、なかった。
 「……この前、歌詞、変わってた」
 「しっくりくるのを探してたからね」
 笑って、両方の拳を打ち合わせるコノカ。
 「ずっと、覚えてて」
 「……?」
 「民族がたくさん増えて、大地が形を変えて、新しい星が生まれても、ずっとずっと、覚えてて」
 「なん、――――で」
 「ワタシが生きた証だもの」
 笑いながら、
 泣きそうな顔で言われた。
 「………………いや、だ」
 そんな、今からいなくなる人みたいな言葉、いやだ。
 「お願いヘレア、安心させて」
 透明な瞳で、コノカがわたしを見る。
 「………………………………………………」
 コノカのお願いは、初めてだった。
 お願いするのはいつも、わたしのほうだったから。
 だから分かった。
 これがコノカの、最初で最後のお願いだってことが。
 だったらわたしは、
 頷かなきゃ、いけない。
 「………………………………覚えてる。どれだけ星が巡っても、ずっとずっと、覚えてる」
 「ありがとヘレア。……アンタはここから動いちゃ駄目よ」
 「…………うん」
 すっと、優しく抱きしめられた。

 「またね。二千年後に逢いましょう」

 それがお別れの言葉だって気づく前に、コノカはわたしから離れて、走り出した。
 コノカは生死をかけるつもりだって理解できた。
 戦うつもりだって、理解できた。
 「…………」

 だけど、

 気の利いた言葉は、

 どうしても、

 わたしの口からは、

 出て、くれなくて……。

 「十歳児の肉体って懐かしいわ。視線が低い」
 疾走しながらコノカは言った。常人とは呼べない疾走速度を維持しながら。
 「並みの子供と一緒にしないでよ? 体力は充実してるわ」
 やはりコノカが言った。
 「アタシの記憶を共有してるから、勘も技術もある、と」
 「更に水晶瞳もある。知能指数も高い。――問題は?」
 「ないわ。だけど半分はワタシに任せて」
 「『こんな実戦はなかなか味わえない』?」
 「その通り! 血沸き肉踊るわ。イカレた頭痛も消滅したし、それに正直、力が溢れて止まらないのよね。今ならどんな高い壁でも一撃で蹴り砕けそう。見物だけなんて、我慢できないわ」
 「今のワタシたちは二人分だからかしら。超常的な事象は専門外だけれど、解けて溶け合った精神が、内燃機関を二つ宿したように良い方向に作用しているのかもしれないわね。嬉しい誤算だわ。――何にせよ、良いわ、暴れて。未来読みとシュミレートはワタシが担当するわ。戦術には従ってよ?」
 「上等。しっかり見せてよ、コノカ」
 「ええ、しっかり見せて頂戴、――リズ」

 人垣まで、残り約三百メートル。

 小さく幼い獸が迫る。

 死者が出て、戦場に漂っていた一抹の遊戯的な雰囲気は完全に消失した。
 目の色の変わった兵士たちは武器を握る手に力を込める。
 そこに逃走を想定する気配は微塵もなく、最後の一人となってもお前を殺すという明確な敵意を漲らせている。
 フェリオスが最も恐れていたことは、これだった。
 流石に一人で十八万人全員の相手など、できるはずがないのだから。

 『覚悟を決めろよ』

 レリックの声は冷たく、だが同時に諭すような心地の声だった。
 「………………ああ」
 あの弓兵のような強者ではなく、
 あの村のケダモノたちのような下種ではない、
 正真正銘の、ただの人間。
 力もなければ罪もない。技もなければ咎もない。――死ぬ理由のない、ただの人間。
 だが。
 代わりに自らの命を捧げてやることなど、できないのだ。
 守りたい、護るべき存在がいるのだから。
 だから。
 だから。
 「だから…………」
 懺悔をすることも、
 償うことも、
 逃げることも、
 全てを放棄して、
 静かに、宣言した。

 「殺すよ。もう、…………迷わない」

 全ては自分たちが生きるために、
 “殺す”。
 レリックを構える。
 そして殺気を放出する。
 冷たい灼熱の如き、殺しの気迫。
 これはもう、威嚇ではないのだ。

 「それはどうでも良いけど、まずはそこから出なさいよ」

 ズン、と腹に響く音がした。
 フェリオスに集中していた兵士たちの注意が、逸れる。
 「敵の真ん中で戦うなんて馬鹿なのかしら? それとも馬鹿にしてるのかしら? もしかして両方?」
 ズン、ドン、ドスン、と打突音が響き続ける。
 十数万人の人垣は厚く、その正体はフェリオスには見えない。
 故に、注意力散漫になった兵士に斬りかかった。音のする方向にいる兵士へと。
 「相手が『数』という力に頼るなら、その『力』を半減させる作戦を考えなさいよ。包囲網を脱するくらいは頭が悪くても思いつくでしょうに」
 不思議な声だった。
 多くの人間に遮られているのに、フェリオスの耳へと届くのだ。
 『おいおいおいおいおいおい……。まさかここにきて、更に一皮剥けたってのかよ』
 レリックが笑い、金属音を立てた。
 「忠告しなかったってことは、結局アンタも馬鹿なのね。猪突猛進の馬鹿コンビ」
 軽口が、奇妙に心地良い。
 「言っておくけど、ヘレアに逢いたいなら死ぬ前に残らず片付けなさいよ。殺す殺さないなんてどうでも良いわ。罪も罰もね。あ、これはアンタにっていうよりはヘレアのためのセリフだから、間違えないように」
 「君はやはり、手厳しいな――」
 斬り裂き、掻き分け、貫き、進む。
 そうしてやがて、声の主が視界に入った。
 「――コノカ」
 「甘くて良いのはお菓子だけよ、フェリオスさん………………………………と、馬鹿一匹」
 打倒した兵士を山と積み、コノカは口の端を上げて笑った。

 「そもそも、前提が間違ってるのよ。戦士たちには死ぬ覚悟がある……とは言わないけれど、死ぬ必要が含まれる職業の奴に情けをかけるなんて、間違ってる。アンタの感情は、人間を対等に見てないからこそ発生するものよね」
 繰り出した右肘が兵士の兜に直撃し、弾き飛ばした。
 剥き出しの頭部を両手で掴み、跳ね上げた膝を叩き込むコノカ。
 引き寄せる両手の力に、放つ膝の力が加算され、単純な打撃よりも強力な威力を発生させる。
 喰らった兵士はそのまま昏倒した。
 だが殺してはいない。少なくとも自分は殺すつもりはなく、不殺を貫く強さも持ち合わせているのだから。
 「もちろん、過去にいろいろなことがあったんです、なんて言い訳は聞かないわよ? 過去に何もない人間なんていないもの」
 つま先を跳ね上げ、正確に精密に別の兵士の下顎を打ち抜き、意識が切れたことを確認しながら全力の上段回し蹴りでこめかみを貫く。
 徹底的な、破壊行為。不殺という破壊。
 それを十歳の少女が行っている光景は、この上なく奇妙なものだ。
 「……っと」
 囲もうとする兵士たちの動きを読み、常に移動を続けて的を絞らせない。
 そして僅かな時間でも孤立した敵に、猛攻撃をしかけて戦闘不能にする。
 コノカの戦い方は冷静で、したたかだった。
 そして彼女に対して防御は不可能だった。必ず防御をすり抜けて攻撃がくるのだ。
 常に数秒後の未来を見ている彼女は、相手の動きが完全に分かる。どこを防御しようとするか分かる。回避運動すらも把握できる。
 それに、息を吐いた瞬間、重心が崩れた瞬間、意識が揺れた瞬間。それも分かるのだから、単純な無防備状態よりも遥かにダメージの通りも良いのだ。
 「ていうか、人の話聞いてる? 囲まれないようにしなさいってば」
 横に――といっても二十メートルは離れているフェリオスに言う。

 高速で、光の筋が幾重にも走った。

 レリックの刃が、周囲の兵士たちを細切れにしたのだ。頭からつま先まで、文字通り『兵士たちの全身』を細切れに。
 サイコロステーキになったその肉片に、命が宿っているはずもない。
 しかしフェリオスは表情を変えなかった。まるで烈風が尾を巻くような、驚異的な速度で斬撃を繰り出し続ける。
 非力な少女の斬撃でも石柱を切断するほどの切れ味に、フェリオスの異常な膂力が加われば、重装備歩兵の鎧すら紙屑以下の防御力しかない。
 「囲まれても問題はないんだよ。――殺すつもりなら」
 それは、コノカとは別の意味で防御不能な攻撃だった。
 盾であろうと剣であろうと、フェリオスが振るうのならばレリックは斬り裂く。もちろん、肉体でも。
 つまり『防御』してはいけないのだ。『回避』をしなければならないのだ。
 だがそれこそ不可能だ。
 フェリオスのスピードに対応できる人間など、そうそういないのだから。
 だから、細切れるしかない。理不尽といえば理不尽だが。
 「殺戮は本意じゃない。死者の魂は背負えない。だから殺したくはない。だけど、もうそんなことを言っている場合ではないとも理解できるんだ」
 右目に入った血を拭う。
 “まるで人間のような動作で”。

 しかしそれは、この上もなく、人間のような、化け物。

 兵士たちは困惑と恐怖を極めた。
 あの少女は何なのか。
 そしてあの男の行動の変化は何なのか。
 どちらも、人間ではない。
 本能で察したのは、いつからだろうか。
 自分たちは負ける、と。
 十八万の兵士たちが、たった二人に負ける、と。
 逃走すべきだった。
 体勢を立て直すべきだった。
 戦術を練るべきだった。
 それらは全て、過去形だ。
 何故ならもう、遅すぎるから。
 悲鳴が響き渡るこの平原は地獄で、
 地獄から生還できる可能性など、ありはしないのだ。
 心すらも燃やし尽くされる灼熱地獄。
 魂すらも凍て付かされる極寒地獄。
 比喩が、現実のように思える。
 だから兵士たちの闘争意識は猛烈な勢いで枯渇していく。


 そして――――。





























 

 

 

 

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 一人も死んでいない。

 戦闘開始から三時間が経過したが、未だに死者はゼロだった。
 かといって負傷者がゼロかというと、そうではない。
 負傷者は二万人を超えた。だがその誰もが死んでいないのだ。
 理由は一つしかない。

 フェリオスが意図的に殺害を回避しているのだ。

 足を一本、斬り落とす。
 そうすればその兵士はもう戦えない。
 白兵戦の最中なら弓を射ることも槍を投擲することもできず、片足では剣を構えることもできない。
 敵味方入り混じった乱戦では、足を失った兵士は死んだも同然なのだ。
 騎馬兵に関しては、馬と主を両方傷付け、無力化していく。
 困難な作業だ。相手は常に殺すつもりでかかってくるのだから。
 しかしこれは、フェリオスの情けが起因するわけではない。
 味方が殺されれば憎悪を膨らませ、結果として士気を上昇させてしまうことに繋がるからだ。
 対集団戦闘とは、相手側の心を削る戦いだ。
 『集団』という圧倒的な力は、しかし感情を伝播させやすい。
 一人の動揺は三人に伝わり、三人の動揺は十二人に、十二人の動揺は四十八人に伝わる、といった具合に。
 逆に、一人の精神的高揚感なども容易く伝播してしまう。
 良くも悪くも、人間とは別の人間の影響を受けやすいものなのだ。
 そして人間は、調子づけば自身のポテンシャルを存分に発揮する生物だ。
 ならば気持ちを上向きにさせるわけにはいかない。
 どうするか。
 フェリオスの答えは簡単だ。

 『殺気』だ。

 相手を恐怖させ、萎縮させ、その感情を周囲に伝染させるのだ。
 数に頼る敵は、先に心を砕く。
 それが多数の対集団戦闘を繰り返してきたフェリオスの経験論であり、結論であった。
 正しく機能しているそれは、目論見通りに相手の戦意を削いでいく。
 敵の足を斬り、鮮血と共に『痛い』と『苦しい』と『怖い』の三つを吐き出させる。
 それを周囲の者に聞かせるのだ。
 混乱の渦中にいる兵士たちが、鬼神の如き殺気を纏う存在が一人も殺していない矛盾になど、気付けるばずもない。
 武器を構えるが、構えるだけで突撃できない。二の足を踏む間に味方が減り、故に焦り、恐怖に肉体を動かされたときには自分が地に倒れ伏している。
 どの隊でもそんな悪循環が発生していた。
 包囲は完成し、三百六十度からの攻撃が可能なはずなのに、自分たちは優位な立場なはずなのに、この化け物は殺せない。
 おそらく、どんなに高度な戦術を組み立てても、打倒される。
 何故なら、相手はこの戦いの中で、一筋の傷すらも受けていない

 どころか、息も切らしていないのだから。

 ……殺せるはずがない。
 その気持ちが更なる悪循環を生むことに、気付ける理屈も存在しなかった。

 一方のフェリオスは、精神的にも体力的にも、かなりの余力を残していた。
 敵の数は多いが、そもそも全員を倒す必要などないのだ。
 よほどの指導者でもいなければ、半数の人間が戦闘不能に陥れば、集団は必ず瓦解する。『闘争』より『逃走』を選ぶようになる。
 つまり、あと約七万人。それだけ(というには大量だが)耐えれば良いのだから、楽だ。
 そうフェリオスが考えていたとき、
 レリックの刃が一度目の破砕を迎えた。

 その小さな出来事が、戦場の空気を一変させた。

 砕けたガラスの破片がフェリオスの額に当たり、皮膚と肉を裂いたからだ。
 致命傷になどなり得ないが、それなりに深いその裂傷は、ドロドロとした血を溢れさせた。
 傷の正確な位置は、右目の真上十二センチメートル。流血が目に入ってしまう位置だ。
 頭部の傷は、血管の量と発汗のせいで他の箇所よりも出血量が多い。拭っても、流れ出る血はそうそう止められない。

 この『出血』が兵士たちに与えた安心感は、かなりのものだった。

 傷を負わせることができる。つまり、倒せる。
 『化け物』に見えていた存在が、『強いだけの人間』に見えるようになったのだ。
 その意味で、咄嗟に血を拭うというフェリオスの『人間的な行動』も裏目に出た。
 相手は完全無欠の化け物ではない。殺すことができる。
 その光明は兵士たちを安堵させ、崩れていた精神を立て直させた。
 活気が伝播していく。
 それはもう、止められなかった。

 悲運のアクシデントだが、戦場ではそんな言いわけは通らない。
 直接的な問題として、血が目に入れば見えなくなる。しかも右目はフェリオスの利き目だ。攻撃の命中精度どころか、回避能力にまで影響が表れてしまう。

 戦況は間違いなく変わり、
 確実に危機的な場所にフェリオスを追い込んでいく。


天地創造
21

 敗色濃厚な気配を、ヘレアも感じていた。
 戦闘位置はじりじりと距離が離れ、兵士たちの輪は今では千五百メートルは離れているが、兵士たちの声が明るい色になっているのは良く分かる。

 ――――大丈夫。

 無意識に口走り、何の根拠もない言葉だと思い知った。
 最初から無理だったのだ。そう考えそうになって、首を振る。
 彼は戦っている。諦めずに、命をかけている。
 守られているだけの自分が、真っ先に諦めて良いはずがない。

 ――――もしも。

 祈るように、願うように、ヘレアは想像する。
 もしも彼に剣が迫ったら、その剣はひとりでに折れてしまう。
 もしも彼に矢が迫ったら、その矢は狙いを外れてしまう。
 都合の良い妄想だと分かっているが、それでもヘレアは繰り返す。
 もしも。
 もしも。
 もしも……。

 くそ、と吐き捨て、眼前の兵士の右腕を切断し、返す刃で左足を落とす。
 同時に、ガラスの剣身が音を立てて砕けた。
 右側面から肉薄する気配に、ほぼ勘だけで真下にしゃがんで剣をやり過ごし、即座に伸びた剣身で足を斬り捨てて倒す。
 時間は更に一時間経過した。
 無茶な使い方をした剣身が砕けた回数は二十を超え、足を斬った相手は合計三万人に至ったが、敵の勢いは留まることを知らずに苛烈さを増していく。
 肩で息をするフェリオスは全身汗まみれで、傷だらけだった。
 避けきれない攻撃が増えてきた。命に届くものではないが、少しずつ体力を奪われる類のもの。汗のせいで血が止まらず、それが体力低下に拍車をかけてもいた。
 殺気を放って萎縮させても、それが他の兵士へ伝達する速度も遅くなった。
 ジリ貧だ。
 だが、どうすれば良いのか。攻略の方法が分からない。
 萎えそうになった自分に活を入れ、迫りくる敵を捌く。
 流血一つでここまで追い込まれてしまうとは、さすがのフェリオスも予期していなかった。
 ――――人間はすぐに死ぬ、か。
 レリックの言葉に真実味を感じざるを得なかった。

 ……どこを見ても人、人、人。斬ってもなくならない人垣を前にしていると、自身の心が折れてしまいそうだ……。

 一瞬。
 時間にして零コンマ一秒ほどのその弱音は、気の惑いとなってフェリオスを蝕んだ。
 僅か。針の穴ほどの隙が生じた。
 背後から斬りかかった兵士はその隙に気付いていなかっただろう。
 だが結果的に、フェリオスの隙に潜り込んだ。
 剣戟がフェリオスを両断する、
 ことはなかった。
 異常な反応速度で振り返った彼が、逆に相手を斬ったからだ。
 しかしそれは、余裕のない一撃だ。
 足を斬る、手を斬る、そんな不殺の攻撃ではない。殺害のための攻撃だった。『殺さず』を選択できなかったのだ。
 胴体を上下に斬り分けられた兵士はその場で絶命したが、

 絶命してしまったが故に、更に戦場の空気が変化した。

 一呼吸の間を置き、
 フェリオスも、兵士たちも停止し、
 ――――その後、怒号が湧き上がった。

 その声にコノカは目を覚ました。
 瞼をゆっくりと上げると、膝枕にしてくれているのだろう、まずヘレアの顔が見えた。
 それは常にないほどの緊張感を孕んでおり、自分の覚醒が遅かったことを無言の内に知らしめていた。
 「フェリオスさんは……?」
 嗄れた声を出すと、ヘレアが視線を下げた。
 別のことを言われそうで、
 それを制して情報を求める。
 「…………戦ってる」
 ヘレアの視線の先には、大軍が一塊に集まっている。その中心にあの男がいるのだろう。

 やはり、水晶瞳で見た未来でしかない。
 変えられない、変わらない現実。
 大河の濁流の中では、木の葉はただ流れに弄ばれるしかないように、人間は運命に弄ばれるしかない。
 死ぬ宿命ならば死ぬしかない。結局は、それを識ることがコノカの能力だった。
 だが、ならば諦めろというのか。
 命を、友を、自分の大切なもの全てを。
 生きている。
 自分たちはまだ、生きている。
 ここで、この空の下で、この大地の上で、確かに生きている。
 なのに、神とかいう存在が自分たちの死を定めたならば、従わなければならないのか。
 死ななければならないのか。
 終わらなければならないのか。

 ――――冗談じゃ、ない!

 コノカは立ち上がった。
 ふらつく足を両手で叩き、
 気迫に満ちたその面差しで、すっと空を見上げた。

 「ごめん、使わせて」

 その言葉は、ここにいないが、ここにいる存在へと、向けた。
 水晶瞳で見た、自分であった、自分がなる存在へと。
 「無駄でも無益でも無意味でも、関係ない。あなたの苦しみを招く行為だと分かってもいるけど、ワタシが死ぬことであなたが生まれるのだとしても――――」
 ギリッと歯を食いしばる。
 「生きたい……! ワタシは生きたい……! ワタシは今、ここにいるのだから……! この大地の上で、間違いなく生きているのだから……!」
 まっすぐにリズの目を見て、告げた。

 「お願い……! ワタシはまだ、抗いたいのよ……!!」

 少女の叫びは虚空に響き、
 …………そしてその目が透明に変わる。

 リズは笑った。
 なんだ、この子は自分じゃないか。そう思った。
 根が真面目で、
 まっすぐで、
 プライドが高く、
 譲れないものを一つ、持っている。
 さすが自分だ。そうも思った。
 魂が、認めた。
 認めることを拒否しなかった。
 止める理由など、最早存在しない。

 ――――使って。そして見せて。

 どんな痛みでも、どれほどの苦しみでも、全て残らず耐えてあげるから。
 あなたがそこにいた現実を、証明して。

 ワタシに、ワタシがあなただった事実を誇りに思わせて。

 そうして『リズ』は、
 『コノカ』を受け入れた。

 不意に、不可思議に、意識が混線するような感覚に襲われた。
 完全になるために。
 リズになるコノカが、
 コノカであったリズが、
 コノカでありリズである、そうなるために結びついていく。
 問題はない。
 あるはずがない。

 ただ、力が、
 力が全身から溢れてくる。

 『彼女』は笑って、囁いた。

 ――――さあ。

 ワタシあなたの強さを、あなたワタシに見せて。
































 気付いたときには全方位を敵軍に囲まれていた。
 逃げ出す隙間など、ない。
 何もかも、手遅れだった。

 『重装備歩兵』四百二十人、『弓兵』六十人、『騎馬兵』百二十人。

 計六百人。大雑把にいえば、それが一大隊の総数だ。
 その大隊が十集まり一軍団とされるのが帝国軍だが、
 今、フェリオスたちを取り囲んでいるのは、――――都合三十の軍団だった。
 首都守備隊と遠征隊を外した、帝国軍の全勢力がそこにあった。

 しかしこれは、明らかに異常だ。
 フェリオスが罪人だとしても、一人の罪人のためにこれだけの人員を割くほど帝国の頭脳労働者は無能揃いではないのだから。
 対軍でも対国でもない、これは対種族戦闘想定規模の兵力。
 一つの種族を大地から消滅させるほどの力を、個人に向ける馬鹿馬鹿しさ。それは例えるなら、鼠一匹を駆除するために核ミサイルを放つ暴挙に似ている。

 何かの思惑か何某かの策略が絡んでいるのだろうが、当事者たちに推察する余裕や猶予などありはしない。
 円状に取り囲む兵士たちとの距離は、半径約二キロメートル。
 地形は草原。
 一部に高低差があり、小さな崖があるが、基本的には見晴らしの良すぎる場所だ。

 コノカというブレインが機能しない状況で、
 帝国軍十八万人との絶望的な戦いが幕を開ける。

天地創造
20

 『ぶっちゃけ、絶体絶命だな』
 短剣の声は、逆に楽しそうだった。
 地平線を塗りつぶす人間の大群は、確かに冗談みたいに見える。
 わたしは笑えなかったけど。
 『しかし、コノカの予想は外れたんだな』
 そっちのほうがいやなことみたいな口調だった。
 でも、ちがうと思う。
 コノカじゃないと思う。
 だってあのとき、コノカは何かを言おうとしてたもん。
 気づいてた。問題が起こったことに。
 だからコノカは悪くない。
 「ヘレア」
 フェリオスさんがわたしを見た。
 「……………………………………………………え?」
 戦士の顔で、優しい顔で、悲しい顔。
 それは、すごく矛盾してる気がする。
 ぐちゃぐちゃの感情が、フェリオスさんの中で暴れてるのかもしれない。
 「コノカを守ってあげてくれ。僕は戦うから」
 わたしの髪に触れた手は、いつもと同じだった。

 戦う。

 言葉にすれば軽いけど、そんなことはムリだと思った。
 相手があんなにいるんだから。
 ……死んじゃう。
 フェリオスさんが死んじゃう。
 こんなの、生きていられるはずがない。
 「大丈夫」
 笑った。
 「怖がらなくて良い。何も心配ないんだ」
 力強い声だったけど、
 それでも不安は消えなかった。
 「うーん。君は少し、僕を過小評価しているよ」
 「……?」
 胸を張ったフェリオスさんは、
 「僕を誰だと思っているんだい?」
 砕けた口調でそう言った。
 「僕ほど戦闘が得意な奴は、そうそういない。多人数戦闘など得意中の得意だ。そんな僕が、負けるはずがないじゃないか」
 「……………………、……、……、………………」

 口にしようと思った言葉が、出てこなかった。

 胸の中で、形にならないいろいろなものが、ぐるぐる回ってたから。
 「………………フェリオスさんは励ますのが下手な人です」
 うつむいて、やっとしぼり出せた言葉はそんな拙いものだった。
 「ごめん」
 フェリオスさんはまた笑った。
 「……………………あやすのはもっと下手な人です」
 「ごめん」
 無意識に手を伸ばした先には、フェリオスさんの右手があった。
 「…………………………それでも良いから、死なないで」
 彼は手を握り返してくれた。
 「ごめん、努力するよ」
 ……気づいてない。
 この人は、わたしやコノカの命の心配をしても、自分の命の心配をしてくれない。
 そのことが、わたしをどれだけ心配にさせてるのか気づいてない。
 わたしとコノカの未来に、フェリオスさんがいてくれないと、わたしはいやなのに。
 わたしのその感情に気づいてくれない。
 ほかのことには、気づいてくれるのに。
 一番気づいてほしいことに、気づいてくれない。
 「……」
 顔を上げて、フェリオスさんの目を見る。
 少し滲んだ顔に向かって、わたしは言った。

 「……帰ってきてくれないと、ぜったい、許さないから」

 だからわたしは、信じることだけはやめないことにした。
 彼はきっと、戻ってきてくれる。
 この手のぬくもりは、失われない。
 ――それだけを。

 「ヤバかった……」
 僕はヘレアたちから距離を取りながら、呟いた。
 『顔』
 レリックの声は、すねているようにも聞こえる。
 『ニヤケてんぞ』
 「仕方ない。これは仕方ない不可抗力なんだ」
 涙目で、許さない、って。
 あれは破壊力が高すぎだろ。
 「生まれて初めて、言われた。しかもヘレアに」
 ああ、胸の中で何かが暴れ回っている……!
 『そりゃ良いけどな、あんまその調子だと、生涯で一度しか言われなかったってオチになんぞ』
 それは困る。
 「許さないって、また言われたい」
 『許されたくねぇのかよ』
 「許されたいが、言われたい」
 『子供かよ……』
 「そうだな、子供になりたい」
 『もう良いもう良いもう良い。そろそろ切り替えろ。現実逃避してると死ぬぞ』
 えー。
 でも、確かに。
 僕は息を吐いた。
 長く、
 長く、
 長く。
 「…………………………………………………………………………………ああ」
 問題なく精神は戦闘に向いた。
 「レリック、ヘレアたちに偽装を頼む」
 鞘から抜き、言う。
 『了解。魔力はお前の体力から精製する』
 血を流す喪失感に似た感覚が僕を襲う。魔術の対価だ。
 ガラスは部屋の中と外を区切る。ガラスは光を反射する。光が反射すればガラスの奥は見えなくなる。
 そこから意味を抽出し、“指定した場所(または人物)を視認不可にする”という魔術を作製するのだ。
 簡単な魔術らしい。魔術師でない僕には分からないが。
 『ヘレアのいる場所が円の中心点だ。お前はここから百八十度は移動するなよ』
 「分かってる」
 半円移動してしまうと、ヘレアたちが崖の対面になり、無防備になってしまう。
 守るものがあるということは、ハンディだ。
 自分の命以外のものを考えなければならないのだから。
 だが、力が湧き溢れる自分も自覚する。
 だから僕は、戦える。
 敵がどれだけ、いたとしても。
 自分がどんな状態になったとしても。

 できればヘレアには、見てほしくない。
 ――ここから先の僕に、慈悲の心はないだろうから。

 士気など高まるはずがなかった。

 十八万人を動員した大規模な作戦の標的が、たった三人の人間でしかないのだから。
 大隊どころか、百人隊ですら必要ないほどだろう。
 加えて、標的三人の内二人は子供なのだという。
 その情報までが回り、
 しかし作戦参加の辞退は許されないという通知が突きつけられれば、士気より不平不満が高まるのは当然といえた。
 略奪する財宝もなく、鬱憤を晴らすに足る敵もおらず、名誉も与えられず、
 仕舞いには満足な説明すらもない。
 冗談か、馬鹿にしているのか、ふざけているのか、何なのだ。

 ――という空気は、一人の男によって払拭された。

 自分は特殊な人間だと宣ったその弓兵は、触れずに物体を移動させるという奇術を披露し、
 不信顔の兵士達を次々と移動させるという行動によって自分の力を真実だと認めさせた。
 直後に『標的の一人は、同じように特殊な人間だ』と吹き込まれれば、混乱している頭でも危機感は抱く。
 画して戦に向かう下準備は済んだ。
 移動は長距離であり、大掛かりだったが、
 それも弓兵が担当した。
 一度に何万人もの人間を移動させる。
 それを繰り返し、あっさりと目標近くへと進軍したのだ。
 既存の進軍方法を熟知していればいるほど、この滅茶苦茶さ加減に呆れ果てただろう。
 だが、スムーズに敵へと接近できたことは事実だ。

 弓兵が独断先行したのは、直後だった。

 彼の姿が消え、目と鼻の先で戦闘が開始された。
 あれほどの人外の能力を持っているのだ、負けるはずがないだろう。
 十八万人は誰もがそう思った。自分たちが出張った意味など皆無だろう、とも思った。
 だが弓兵は負けた。馬鹿馬鹿しいほどの、圧倒的戦力差で。
 それがコノカの能力によるものだとは知らず、
 フェリオスという男はどこまでも危険だという認識のみが広がることになる。

 一塊になっていた三十の軍団は分かれて敵を包囲し、確実にあの男を殲滅するための作戦をスタートさせた。

 「まだ十八スタディア以上あっただろう?」
 『ジャスト十九スタディアだ』
 「それは良い。しばらくは折り放題だな」
 『マジでそうしたら怒るからな』
 「分かってるって、冗談だよ。とりあえず一パッススくらいの長さに伸びてくれ」
 ブツブツ文句を零しながら、レリックはガラスの刃を伸ばしてくれた。
 レリックは吸収したガラスによって刃の長さを伸縮できる。今は片手剣くらいの長さだ。
 「もし折れたら、すぐにこの長さに伸びてくれ」
 『短剣の流儀から外れるけどな、仕方ねぇ』
 確かに、最早短剣ではないな。
 「しかしお前には迷惑をかけっぱなしだな」
 『……なんだよ急に』
 「思ったことを言っただけだよ」
 『で? オレが次に頼まれるのは何だよ? 伝言か?』
 「っ!? 何故それを!?」
 馬鹿かコイツは。
 レリックが呟いた。
 『お前みたいな人間は、死地に赴くとだいたいそういう類のことを言うもんだ』
 「僕は随分、没個性的だということか……」
 『それがお前だって。んで何だよ?』
 僕は僅かに黙って、
 それを伝えた。
 『分かった任せろ』
 きっぱりした口調のレリック。
 「あれ……? こんなときは『自分の口で伝えろよ』とか言うものじゃないのか?」
 『分かるけどな』
 声のトーンを落としたレリックは、寂しそうに聞こえる声で言った。

 『人間はすぐに死ぬ。本当にすぐに死ぬんだよフェリオス』

 こいつは二〇〇〇年の間、どれだけの死別を経験してきたのだろうか。
 そう考えさせられるほど、言葉に重みがあった。
 「僕はそうそう簡単には死なないよ」
 『そうだと良いがな』
 「……そうだな、とか言えないのか?」
 『そうだな、言えねぇ』
 やれやれ。首を振った。
 もう敵は目の前だ。話をする時間は、なくなってしまった。
 「怨みはないし、『僕の』流儀に反するけど、向かってくるのなら」
 ぎょろり、と眼球を動かした。
 そして殺意の刃を鞘から引き抜く。

 「……殺す」

































 



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